第1回【稲は魂が宿る「いのち(命)のね(根)」】

命をつないできた稲

私たち日本人は、お米が大好き。
かけがえのない主食として、長くつきあってきました。
お米の歴史をひも解いていくと、
弥生時代にまでさかのぼります。

「稲」は今から約2500年前に、日本へやってきました。
どこから来たのかは、諸説あります。
水と太陽の力を借りて日本の大地に根づき、
水田という設備をもうけ、稲作が始まりました。

稲は、日本人が落ち着いてひとつの場所に住み、
食べものに困らない暮らしをもたらしました。
米づくりは共同作業が基本。
そのため、稲作を生業とする人々が集って集落が生まれ、
村ができ、社会が誕生します。
私たちの祖先は、それぞれの社会で命をつなぎました。

そして稲を育てる水田は、米づくり以外にも

・天災を防ぐダムの代わり
・水をきれいにする浄化作用
・作物が育ちやすい土づくり
・渡り鳥の餌場(えさば)
・魚や虫の住み家

といった、さまざまな働きがあります。
稲は自然や私たちを生かしながら、
日本文化が作られる上で、とても大きな役割を担ってきたのです。

「いね」と呼ばれるようになった語源には
飯の根、生きる根、息の根、そして命の根という意味が
込められています。

お米は単なる食べものではない!?

稲作が伝わる以前の日本人は、自然とともに
実を収穫したり、魚や肉を獲ったりして暮らしていました。
しかし、食べるものが調達できないと、
住まいを変えていかなくてはなりません。
たくさん狩猟できた日があったとしても、
時間がたてば腐ってしまいます。

しかし、お米が穫れるようになってからは、
食べあまれば、2年も3年も保存することが
できるようになりました。
この「余剰」は、米以外の作物や道具と交換するための貨幣としての役割も。
余った米でモノを増やし、文明が発展していったのです。

お米は後に、調味料や日本酒、お菓子、
化粧品などにも生かされます。
まさに日本は"お米によって成り立ってきた"国なのです。

酒屋として160年歩んできた勇心酒造も、
長い年月をかけて、お米や発酵技術と向き合ってきました。
研究を重ねて感じるのは、お米に秘められた無限の可能性に
「生かされている」ということ。
汗水ながすモノづくりの尊さや喜びを、
現代に暮らす私たちも、受け継いでいます。