第6話【会社存続の危機、今につながる各所からの支援】

「米発酵エキス」が医薬部外品の認可を受けたことで、徳山は「米には秘められた無限の可能性がある」とする自分の考えに間違いがなかったことを確信しました。
すぐに入浴剤の生産をはじめ、農協の協力や口コミなどで効果の高さが話題になり売り上げはどんどん拡大していきました。すると生産体制の整っていない当時の設備では生産が追いつかず、生産体制強化のための新工場建設が急がれました。しかし、工場を建設するための資金は手元に残っていませんでした。
そんな中手を差し伸べてくれてくれたのが兵庫銀行。多額の融資を申し出てくれたのです。また、鹿島建設は“ある時払いの催促なし”という好条件で新工場建設を引き受けてくれました。勇心酒造の技術力と将来性に賭けてくれたのか、それとも徳山の強い思いが協力者を惹きつけたのか――。
絶妙のタイミングで得られた支援により、勇心酒造の生産体制は安定し、順調に入浴剤の売り上げを伸ばしました。

メイン銀行の破綻

調味料、入浴液と続けて商品開発を行った後、新工場も建設され、徳山は素材開発へとステージを変えライスパワーエキスの研究・開発を行っていました。
そんな中、勇心酒造のメイン銀行になっていた兵庫銀行が破綻するというニュースが飛び込んできたのは、あまりにも突然のことでした。
負債は最終的に整理回収機構に引き継がれましたが、借り増しは出来ず返済のみとなり、経営は厳しさを増したのです。
入浴剤などの新商品が貢献し、売り上げは伸びていましたが、年商の割には研究費が多く、経営を大きく圧迫し負債も増え続けるような状況が続きました。

温かい支援に支えられ、続けられた研究

また、そんな経営難に拍車をかけたのが、当時開発をすすめていた素材であるライスパワーNo.11の承認の遅れでした。
申請から5年が経った2000年、ついに手元資金が底をつき、納入業者への支払いに行き詰りました。
貸し出しをしてくれる銀行も無くなり、万策尽きた徳山の頭にはある人物の顔がよぎりました。それは若きころ「清酒業界の未来を切り開こう」と誓い合った盟友、「一の蔵」の鈴木和朗氏。頼るところは鈴木氏しかないと考え、連絡をしました。
――分かった、とくさん。
鈴木氏はすぐさま送金をしてくれたのです。これに続く有形無形の支援により、勇心酒造は危機的状況を免れました。

この間、負債を抱えながらも、国などからの補助金や融資を受け、どうにか研究を続けることができました。そしてその後も、それまで付き合いの浅かった四国銀行(高知市)が「コメの新規機能開発」に無担保で融資を行ってくれたり、後のOEM先となる地元の通販会社シムリー(現・アイム)の創業者が化粧品原料の提供を前提に研究資金を融資してくれました。
こうした温かい支援のおかげで、長年続けてきた研究の成果が芽を結び2001年にはライスパワーNo.11の承認が得られました。
会社存続の危機に、勇心酒造の新規事業に賭けてくれた企業や銀行、そしてヒトの存在をこれからも忘れることはできません。