第3話【築かれた独自の世界観「生かされている」】

東京大学院時代に植村教授から学んだ「生命の真理」、またその向こうに説く「人間と自然の調和の大切さ」という考えを元に、自身で考えたどりついた、独自の「自然観」――

それは今の徳山の考え、またライスパワーエキス研究の原点となるものでした。

人間も自然の一員

当時、産業革命に伴う技術の進歩で人口とエネルギー消費は増え続けていました。日本は世界有数の経済大国になり、物の豊かさを得ることはできましたが、結果として大きな3つの問題に直面することとなりました。それは

1.人類と自然の乖離がますます大きくなっていること
2.物と心のバランスが崩れていること
3.資源や環境問題などの、地球有限という問題に直面してきたこと

徳山がたどりついたこの3つの問題は、「生きていく」という人間中心主義的で、科学中心の西洋的なものの考え方が行き詰まりをみせてきたことによるものでした。徳山は“このような時代こそ原点に立ち返ることが必要だ”として、人間社会成立の原点を見つめなおしました。
その結果『人間も自然の一員であり、様々な背景によって「生かされている」』という考え方が生まれたのです。
――今後は「生かされている」という自然と調和した(東洋的)考え方を重んじつつ、科学中心の(西洋的)考え方と融合していけば、人類を取り巻く諸問題を解決する糸口となるのではないか――
今日のライスパワーエキスの研究・開発につながるこの理念は大学院在学中にすでに確立されていたのです。

生物学を学ぶだけではなく人類の誕生までさかのぼって歴史学を学んだ上で答えを導き出せたのは、元々歴史が好きだった徳山だからこそできたことなのかもしれません。

人生を動かす出会い②鈴木和郎氏

このような独自の「理論」を確立した徳山の考えに、初めて賛同してくれた人物がいました。それが東北大学の一つ後輩であった 鈴木和郎 すずきわろう 氏。鈴木氏は実家が宮城県塩釜市の 勝来 かちき 酒造で、徳山と同じ地方酒屋の跡とりでした。
1968年(昭和43年)、博士課程3年生の時、自分なりに確立した理念を誰かに聞いて欲しい、そう考えた徳山は、酒屋の跡取りという同じ境遇で微生物学を学んだ鈴木氏を訪ねました。東北大学卒業後は父親の跡を継ぎ、家業に就いていた鈴木氏は突然の訪問を快く受け入れてくれました。
当時の酒造業界は見渡す限り、すでに酒屋の経営の行き詰まりを見せていました。同じ境遇にあった徳山と鈴木氏は酒屋の将来について酒を酌み交わしながら、徳山は生物学を通して確立した持論を語り、鈴木氏は終始黙って話を聞き、最後に大きくうなずいてこう言いました。
「力を合わせて酒造業界の未来を切り開こう」
――その時2人は固く誓い合たのです。徳山ははじめての賛同者を得た安堵感と、勇気をもらいました。

その5年後鈴木氏は地元の酒造業を営む3人の若手経営者とともに宮城県松山市に新たな酒蔵「一の蔵」を創業。「将来は業界のリーダー」と目される存在となっていきました。

しかし、2007年2月27日、鈴木氏の突然の悲報。理念の最初の賛同者であり、最も頼れる理解者を失った徳山は悲しみにうたれました。葬儀で友人代表として弔辞を読んだ徳山が万感の思いで遺影を見上げた時、彼の耳には確かに「徳さん。基本の考え方は絶対間違っていないんだから。」いつもそう言って励ましてくれた鈴木氏の声が聞こえたかのようでした。