第1話【はじまりは香川県宇多津町から】

勇心酒造は江戸末期1854年(安政元年)に香川県宇多津で誕生しました。酒蔵としての歴史は長く、元々は現在の社名とは異なり蔦谷半右衛門つたやはんえもんが「蔦谷つたや」の屋号で創業したのが始まりであり、創業当時は宇多津町で唯一の造り酒屋でした。

 

はじまりの地、宇多津町

勇心酒造の地元である宇多津うたづ町は古くから港町として栄えており、もともと塩田業が盛んな土地だったため、稲作はほとんど行われておらず、酒造りも行われていませんでした。
そこに、創業者である半右衛門が年貢米を米蔵に運び入れる農家から米を仕入れるようになり、宇多津の地で酒造りをはじめます。
「塩田が広がる田舎町の、小さな酒蔵」
これが全ての出発点でした。後の勇心となる酒蔵。
生産量は多くないものの、その酒質の良さから地元の宇多津町では町民の消費する清酒の6割が勇心の銘柄だったといわれているほど。そして地元だけではなく丸亀市、坂出市、高松市を中心に販路を広げ地元で愛される銘柄になっていきました。
時代の移り変わりとともに酒蔵の屋号は継承されながらも、社名が「徳山酒造場」となり、先代社長の徳山勇が当主を務めた1952年(昭和27年)に自らの名前を一文字とって「勇心ゆうしん」としました。
これにより、いまの「勇心酒造」が出来上がりました。

 

造り酒屋で生まれた未来の研究者

勇心酒造の長男に生まれた現社長・徳山孝は、物心ついた頃から「酒屋の跡継ぎ」として育てられ、人や社会につくすこと、礼儀作法などは厳しくしつけられましたが、両親や祖父母から大きな愛情を受けて育ちました。
小、中学校では山と海の自然に囲まれた環境で、のびのびとした少年時代を過ごしました。この自然に囲まれた環境が、後の徳山の自然観に影響します。
高校は香川県立丸亀高等学校に進学。しかし、県内有数の進学校に在籍しながらも、一生懸命勉強ばかりしているような子供ではありませんでした。勉強自体を苦とすることはありませんでしたが、英語だけは大の苦手であり高校2年以降は辞書を引いた覚えがないほど。英語の試験の最高得点は27点だったといいます。


一方で、中学のときから万葉集や歴史書を読むほどに無類の歴史好きであり、生命の起源や進化の歴史をたどる、生物の授業も率先して聞いていました。こういった部分にも、現在の考え方や理念につながるものが、すでにちりばめられていたのです――。

 

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